デザイン事務所 ブランディング・ロゴマーク制作会社 デザインエイエム

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2022月08月 アーカイブ

母校の松山北高が「創立120周年記念誌」を発行するにあたり、
寄稿をご依頼いただき、今春発行されました。

高校生に向けて書いたものですが、
もしよかったらお読みください〜。

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創立120周年に寄せて
「なりたい自分になるために」

株式会社デザインエイエム 代表取締役 溝田 明(北高36回)

2017年の夏、北斗塾講演会で講演させていただいた。タイトルは「なりたい自分になってゆけ!」私が母校で講演だなんて不思議な気もしたが、在校生の皆さんに少しでもお役に立てればとお受けした。1200名を前に「北高の体育館ってこんなに広かったっけ?」と思ったものだ。

あれから4年、世界は未だコロナ渦で落ち着かない。3年生は修学旅行にも行けていないと聞いた。皆さん体調は大丈夫だろうか?
数年前にこんな状況になると誰が予測しただろう?何でこんなタイミング?何で自分たちだけが?…人生にはそんな理不尽も常に背中合わせなのかもしれない。

私は高校時代、ラグビーをやっていた。肘のかさぶたがきれいにとれることもなく、毎日のように整骨院に通っていた。また小さい頃から美術が得意だったこともあり、将来の仕事は美術関係と密かに決めていた。ラグビー最後の県大会が終わって、受験のデッサンのため美術室に急に通い始めたものだから、周りの友人たちはびっくりしていた。

高知大学教育学部(特設美術)卒業後は、やはりデザイナーの道を目指そうと、3年間の修行のつもりで東京に上京。その間「将来この東京で独立してどこまでできるか試してみたい」という気持ちが芽生え、結局10年の修行の末に独立、その2年後に会社を設立した。

会社名は、株式会社デザインエイエム。AMとは「明るい未来」の略だ。スタッフ10名の小さなデザイン事務所だが、ブランディングデザイン会社として「明るい未来」を1つでも多くデザインしていく。スタッフやクライアントなど関わってくれる人たちを幸せにするために。会社設立から21年、最近ではそんな経営理念も明確になってきた。

周りからは順風満帆に見えるようなのだが、実際はそれだけではない。苦しい場面も当然ある。今でこそ笑い話だが、過労が元でしばらく生死をさまよった時期もあった。ただ少しでも上を目指し、理想を追い求めれば、くじけそうになることも、時には挫折だってあるだろう。精一杯がんばっていたって、時にはこんなコロナのようにどうしようもないことだってある。

仕事をするということは、誰かの役に立つこと。助けること。感動や生きる力を与えること。その成果によっておおよその報酬が決まってくるのだ。まずは自分が好きなことや得意なこと、時間を忘れて没頭できるものを追求してみるとよい。さらに「好きなこと、役に立つこと、認められること」の3つが重なる場所にたどり着くことができれば、すでに成功したようなものだ。

将来を考える時、何もないけど平坦な安全そうな道を行くのか、多少浮き沈みがあったとしても自分が信じる好きな道を行くのか。選択は自由だ。私は生まれ育った環境から、まずは人よりも稼ぐ必要があった。時間はかかる道だったけど…。それぞれ置かれた環境によっては覚悟も決めないといけないから大変だけど、今の自分にとって何が一番大切かを探ってほしい。でもちゃんと前を向いて進んでいれば、失敗なんて1つもない。もしそれが失敗だとしても、それを糧に次に活かせばいいだけだ。

「人生は何事もなさぬにはあまりにも長いが、何事かをなすにはあまりにも短い」という格言がある。もし今皆さんに行ってみたい目標地点があるのなら、今すぐそこへ向かおう。1日でも早くそこにたどり着くために。実際そこに立ってみたら、予想とは違ったということもあるだろう。行ってみて初めて見えるものもある。その時はまた別の場所を目指せばいい。もし今はまだ目標地点が見えなくても大丈夫。それは大学で見つけてもいいし、一度社会人になってから方向転換したって構わない。ただし、時間は有限だ。

思えば、高校時代の自分がまさか50代になるなんて、まったく想像すらできなかった。そんな遠い将来には興味もなかったし。でも間違いなく遠い将来は、今この瞬間の延長線上にある。そして人生は思うよりもずっと短いみたいだ。何かをなそうと思えば。
測量家の伊能忠敬は、55歳から17年かけて日本地図の元をつくったらしい。今から200年も前のこと。私もまさにその歳になった。どこまでできるかわからないけど、デザインの仕事を通して、少しずつカタチにしていきたい。

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